1976年夏、ニューヨークからはるばる家族を伴って、ある世界的スターが軽井沢を訪れました。彼の名はジョン・レノン。1960年代に人気を博したイギリスのロックバンド「ビートルズ」のメンバーとして活躍し、20世紀最高のシンガーソングライターとも言われました。ジョン・レノンは1969年に、日本人アーティストのオノ・ヨーコさんと結婚。1971年に発表された楽曲「イマジン」はジョン・レノンとオノ・ヨーコさんの共作で、世界の平和や愛を伝えるメッセージソングとして、時代や世代を超えて歌い継がれています。軽井沢を訪れた理由世界的スーパースターだったジョン・レノンがプライベートで訪れていたのが、軽井沢でした。きっかけは妻のオノ・ヨーコさん。小野家が軽井沢に別荘を所有していたこともあり、ヨーコさんにとっても軽井沢は思い出の場所だったのです。1975年にジョン・レノンとオノ・ヨーコさんの間に愛息子のショーン君が生まれると、その翌年から1979年まで、家族そろって軽井沢で夏を過ごしていました。当時、自転車に乗って軽井沢を楽しむジョン・レノンやファミリーの微笑ましい姿は、今でも軽井沢の人々の記憶に残っています。そんな幸せが続くと思われた1980年12月8日、ジョン・レノンはニューヨークで銃撃され、命を落としました。ジョン・レノンの定宿「万平ホテル」1977年、オノ・ヨーコさんのお母様から万平ホテルに電話がありました。「うちの婿が行くからよろしくね」そして姿を現したのがジョン・レノンでした。万平ホテルをひと目見たジョンは、生まれ故郷にそっくりなホテルがあると言い、すっかり万平ホテルを気に入ったそう。レノンファミリーの定宿となり、78、79年と滞在。80年も予約が入っていたそうですが、仕事のため来日できず、79年の夏が最後となってしまいました。ジョン直伝レシピのロイヤルミルクティーホテルに滞在中、ジョン・レノンは毎朝、必ずカフェテラスへやってきて、モーニングティーを飲むのが日課でした。ジョンの好物だったロイヤルミルクティーが当時の万平ホテルにはなかったため、ジョンが直接作り方を伝えました。レジピ通りに作り、ジョンに出してみると「Very good !」と喜んでくれたそう。それ以来、カフェテラスのメニューにロイヤルミルクティーが加わるようになりました。今でもファンが訪れるレノンファミリーが滞在していた部屋は、万平ホテルアルプス館の2階にある3部屋。毎年、一家の到着に先駆けて運送業者が部屋に荷物を搬入し、まるで引っ越しのようだったとか…。今でも「ジョン・レノンが泊まった部屋に泊まりたい」と指定するファンも多く訪れます。2025年6月には、オノ・ヨーコさんの姪にあたる小野さんが、ジョン・レノンを偲ぶ平和のお茶会を万平ホテルで開催しました。ファミリーとしてジョンとも親しく交流していた小野さんならではの知られざるエピソードが披露され、ファンたちも大喜び。茶会ではビートルズのレコードを模した茶菓子が提供され、二人にちなんだ茶道具も披露されました。ジョンとヨーコがボートに1978年の7月のある日、ジョン・レノンとオノ・ヨーコの姿は、塩沢エリアにある塩沢湖畔にありました。帽子にサングラス、短パンのジョンと、長い髪にサンバイザーを被ったヨーコ。夫婦で連れ立って湖畔を散策したり、ボートに乗ったり、かき氷を食べたりと軽井沢らしい夏の日を満喫しました。他のお客さんが気づいたり、騒ぎ立てる様子もなかったそうで、2人の静かな時間を過ごせたのかもしれません。ジョンお気に入りの喫茶店軽井沢に滞在中、ジョン・レノンがヨーコとショーンを連れて毎年訪れていたのが、喫茶店「離山房」。ファミリーは万平ホテルから自転車で喫茶店へとやってきます。テラス席がお決まりの場所で、食事したり、コーヒーを飲んだり、時にはショーン君が庭を駆けまわったりと、2時間ほどゆっくり過ごしていきました。BGMをビートルズの曲に変えると、ジョンがウィンクで応えてくれることも。自らが記したサインと似顔絵、何気ない家族の写真など、数々の想い出が今でも離山房に残されています。フランスベーカリーやグリーングラスなど、まだまだジョン・レノンゆかりのスポットが軽井沢にはたくさんあります。4年という短い期間でしたが、家族での幸せなひと時を過ごした軽井沢。いつかは軽井沢に暮らしたい…ジョン・レノンはそんな夢を語っていたそうです。参考文献/「軽井沢ヴィネット」vol.68、vol.121、「軽井沢新聞」2025年6月号